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評価:
歌野 晶午
文藝春秋
¥ 660
(2007-05)
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つい先日本屋で見かけたこの本は店頭で平積みにされていて、腰帯には日本推理作家協会賞や本格ミステリ大賞受賞との輝かしい文句。
そして本の後ろには「2度3度読みたくなる徹夜本」と書いてあった。
それだけで少し興味をそそられたが、タイトルが叙情的という部分が決定打となり、購入。
読んでみた。
この作品はトリックものなので、ネタバレがいやなかたは以下を読まないでください。
とにかく、私の活字離れが著しいのかとにかく読みにくい。
徹夜本なんてとんでもない。どこが、と具体的にはいえないのだけど、途中で何度も読むのをやめたくなった。
正直言って興味を惹かれないのだ、物語の中の人たち、そしてその彼らの行動について。
でも、もしかして、と思いなんとか読み終わったけど、こんな思いをして読んだラストがこれ。
「ワー!楽しかった!」という喜びや感動ではなくて「ええええええええー!?」という驚愕。
そう、驚愕という意味では本当にこんな作品は初めてかもしれない。
何度も読み返したくなる、という意味はまさに「そういう意味」だったのだ。
感動して、ではなくて、えええー、ということはあのシーンは・・・?みたいに気になって読み返したくなる。
その意味ではこの作品は非常にうまい作品だと思う。
だけど、そのトリックをはたしてこの作品で使う必要性があったのか、と問われると、私には必要性を感じなかった。
ただ、読み終えて初めてこの小説のタイトルの意味がわかる、という部分だけ少し腹に落ちた気はする。
昔からおじいさんは「〜じゃった」「じゃのう」「わしはぁ」みたいな口調で話すと勝手に決め付けているけど、私は思っていた。
「私たちが老人になったとき、はたして私の世代の人たちはそんな喋り方するだろうか?」と。
今の喋り方のまま老人になってしまうとしか思えない。
そう、おじいさんなのに「ぱねぇ」とかおばあさんなのに「超ウケる〜」とかいってしまうのでは、と。
その疑問をトリックにしてみた叙述トリック。
いつかそのあたりをテーマにしたものは出てくるとは思ってたけど、まさかこんな形で出てくるとは。
でも、これってミステリ?
少なくとも、確認のためには読み返したいけど、感動とかとは程遠いところにあるので、そういう意味ではたぶんもう二度と読まないな、と思ってしまった。